オハナ鶴見保育園からのお知らせ

園庭での大事件

2019年6月17日

今回の記事は、「誰が」ということではなく、オハナで大切にしている、子ども同士の関わりの一場面として読んでいただきたいため、写真を掲載いたしません。

 

園庭で、マハロ組の女の子がケンカをしていました。「アジサイの花はとっちゃいけないんだよ」「とってない」「とったでしょう」「とってない!」。

泣きながら「とってない」というのですが、いけない事はいけない、と相手の子が頑として聞く耳を持ちません。

「そんなこと言うならもう遊んであげないから。いいの?」とけしかけますが、それでもダメなものはダメ、と凛とした態度。

「・・・ごめんね」「いいよ」とここで一度、区切りがつきました。

 

しかし、ごめんねと言いつつ納得できずにいたその子はまだ涙が止まりません。

泣いている子がいる、と周りに他の子どもたちが集まりました。

「どうしたの?」と話しを聞こうとするのですが、ここでまた「アジサイの花をとったんだよ」「え、いけないんだ」と、同じやり取りが始まってしまいました。

「とってない」「いけないんだ」の繰り返し。そこに今度は『なんだかわからないけれど泣いているぞ』とマカナ組の男の子も加わって、なんとなく泣いている子の隣に並んで座ってみたりして。

いつの間にか園庭中の子どもたちを巻き込んだ大きな事件になっていました。もう嫌だ、と幼児室に戻ったその子ですが、最後は「とっちゃだめなんだよ」「わかった」というひと言で、フッと雰囲気が和らぎ、収束へ。園庭からずっとその流れを見ていた子が「一緒に遊ぼう」とそっと声を掛けてくれていました。

 

子どもたちだけで始まり、終わったこの大事件。

一緒に遊ぶ中で、ルールを守らなければならないということを子ども同士で伝え合い、それを理解してもらいたいという強い意思。

自分は遊びの一環としてアジサイに触れただけなのに、それを強く責められてしまい悲しい気持ち。

悲しそうに泣いている子がいるから隣に寄り添ってみた子。客観的にやり取りを見届けて、最後に悲しかったであろう友だちに声を掛けてくれた子。

さまざまな意見や考えがある中で、こうした一つ一つの想いがそれぞれに尊重されていたように見えました。ここに大人が介入していたら、なにか一つの意見に偏ってしまっていたかもしれないし、しかし子どもだけでも別の結果になっていたかもしれない。

子どもを信じて見守りそして最後まで見届けることの大切さや難しさやというものを改めて感じた出来事でした。

 

「とってはいけないんだよ」と言っていた子の中には、実は去年の今頃は大きな花の塊を手に取って嬉しそうにしていた子もいました。

その子に、アジサイはとってはいけないの?と聞いてみると、「だってまだ大きくなるから。もっと花が咲くから、とってはいけない」と教えてくれました。

この1年の間に自分で見て、聞いて、学んだことがしっかりと積み重なっているのですね。